家族だから分かるはずは思い込み。共に過ごした時間が血のつながった他人を家族にするよって、おはなしです。

こんばんは。大宮わさびです。このブログは、わたしの不登校に関する経験談や、自己肯定感、人間関係に関する話題を更新するブログです。

20180830kareoomiyawasabi

わたしが不登校になったときのはなしです。

母は、わたしが元気になるように、わたしの好きな食べ物を作ったと言いました。

ですが……出来上がったものは、わたしが好きな食べ物ではなかったんです。

せっかく張り切って料理してくれたので、違うとも言いませんでした。

そんな日もあるかと、特に不満はなかったのですが、そのようなことが続き、あれ? と感じるようになりました。

そこで気づいたのですが、わたしと母は、毎日、同じ家で暮らしてきたはずなのに、お互いのことをよく知らなかったんです。


なぜだろうと考えてみると、わたしは学校や塾、はたまた宿題と、自分の部屋で過ごすことが多く、家族と仲良く団らんする時間が、ほとんどありませんでした。

このような状況では、母がわたしの趣味を、きちんと理解していなくても仕方がないです。


わたしは不登校になって、家族を話す時間が増えました。

とりあえず、勉強を放棄することにしたので、かなりの時間が空白。

不登校であった1年間は、家族と過ごす、貴重な時間だったと思います。

晩御飯の後、ぼーっとテレビを見る日もあれば、お菓子を分け合う日もあったり、ゲームに熱中する日もあったり。

他の家庭では、当たり前に過ごしていた時間なのかもしれないけれど、わたしは未体験だったので、ドラマのような時間だと思いました。

不登校で時間に余裕しかない毎日のなかで、家族と共に、だらだらした時間を過ごす。我が家にはなかった、アニメやドラマのワンシーンのような、幸福な食卓を追体験する機会となったのです。

おれたちはファミリー。と、父がよく歌っていました。アニメのワンシーンらしい。

(・∀・) いまでも、よく歌っています。家族が喧嘩したときに。


不登校になっていなかったら、わたしたちは同じ家に暮らす、血のつながった他人のままだったに違いない。と、振り返ることがあります。

福山雅治さんが主演の映画「そして、父になる」を観ると、不登校だったときの出来事を思い出します。

血のつながりか、過ごしてきた時間か、どちらが家族を創るのか。

わたしは、共に過ごした時間が、家族を創るのだと感じています。

生まれた瞬間から、血がつながっているという理由だけで、家族にはなれないように思うのです。

細胞で考えると、血のつながりが大事なのかもしれません。

でも、心は、細胞とは違うところで、ひとりひとりがもって生まれてくるものだと、わたしは考えているので、生まれてからの出来事が大事なんじゃないかなあと思っているのです。

たとえば、わたしがカレーを好きな理由は、美味しいからだけじゃありません。小学生の頃に、母と一緒に作って、つまみ食いをしたのが楽しかったから。初めて、一人で作れるようになった料理だから。わたしが作ると、家族みんなが喜んでくれたから。

「好き」は、そのもの本体の姿かたちだけじゃなく、それをとりまく記憶と共に保存されているのかもしれません。


みなさんは、不登校である子どもの大好物を知っていますか?

答え合わせしてみると、意外な結果に驚くかもしれません。


関連記事 : 
カオス期、停滞期、回復期。不登校による気持ちの変化は三段階ある


ほな、また(・∀・)よしなに!


(・∀・)このブログの作者はこんな人だよ

過去記事 ⇒ ジェットコースター人生を歩む、元不登校 大宮わさび。はじめましてのご挨拶。


ランキング登録しています。
応援してくれると嬉しいです。
にほんブログ村 子育てブログ 不登校・ひきこもり育児へ