社会復帰してから知った、わたしが不登校ひきこもりであったときの、母の行動や接し方に隠された出来事についての、おはなしです。

こんばんは。大宮わさびです。このブログは、わたしの不登校に関する経験談や、自己肯定感、人間関係に関する話題を更新するブログです。

20190115kurodennwaoomiyawasabi

わたしが母の行動を知ったのは社会復帰してからだった


わたしが不登校ひきこもりから社会復帰を果たし、大学へ通っていたころのはなしです。

自分自身が不登校ひきこもり支援に関わるようになり、驚きや発見がたくさんありました。そのうちのひとつは、不登校ひきこもり本人ではなく、その家族への支援を行うことが、本人の社会復帰につながるという考えかたでした。

はじめはイメージできなかったけれど、実際に不登校ひきこもり支援に関わった家族の子どもさんが社会復帰に近づく姿をみて、こういう支援の方法があるのかと実感したのです。

この感動を誰かに伝えたいと思って。わたしはお姉ちゃんに、しょっちゅう連絡を取り合っていたので、日常会話として、こんな出来事があったんだ、感動したと伝えました。

すると、「我が家のお母さんも、そういうのに参加していたよ」と。その事実を、わたしは何も知らなかったので、非常に驚きました。


保健所のスタッフからのアドバイスを受けて


わたしが不登校ひきこもりになったころ、母はどうにかしなければと焦っており、必死に声かけをしていた。でも、どんどん体調が悪くなってしまった。

だから、精神科や心療内科に相談したのと同じ時期に、保健所にも相談した。そこで、「自由にさせてあげて」とアドバイスを貰った。

そのアドバイスをきっかけに、学校のことや将来のことを説得するのは諦めた。すると、わたしの体調がどんどん良くなった。

高校をやめてどうするのか、将来のことは気になったけれども、子どもが元気であることのほうが、よっぽど大事だと気づいた。だから、しばらく自由にさせることにした。

らしいと、姉が教えてくれました。


わたしが不登校ひきこもりであったときの母の行動や接し方


姉の話を聞いて、振り返ってみると、確かに、不登校ひきこもりになった当初は、母から怒られる日が多かったように思います。でも、次第に怒られたり、責められたりする日が減り、わたしに対して、寄り添う状態になりました。困っていたら、近くにくるし、穏やかに過ごしているときには、離れて見守っているし。

母は、私に対して、保健所に相談していることは一度も言いませんでした。祖母の家に行くと言いながら、保健所などへ相談に行っていた日もあったのだろうなあと気づきました。

不登校ひきこもりであったわたしは、先生や医師などに対して、強い嫌悪感があったので、感情を刺激しないように、隠していたのではないかと感じます。

母が、わたしを否定しなくなったので、安心して、日常を過ごせるようになりました。母が自宅にいる時間は、リビングに登場することもできたし、みんなと同じ食卓でごはんを食べることもできた。あれは、母によって整備された環境だったのかと。

不登校ひきこもりである子どもが社会復帰する家族というのは、親子関係が良好である傾向があります。子どもが親に対して嫌悪感をもっていないし、親もそう。不登校ひきこもりという問題はあるけれども、親子は仲が良く、普通に会話ができる状態。

そういう環境を母が整備した結果、わたしは社会復帰することができたのだと思います。

そういった自分自身の経験をふまえてみても、不登校ひきこもり支援団体や保健所が実施している、家族のサポートは意味のあるものなのだと考えます。

不登校ひきこもりである子どものことで困っているのであれば、一度、相談に行ってみてください。一対一の相談は敷居が高いのであれば、無料の講演会やセミナーなど、市町村で実施しているイベントに参加するのも良いかもしれません。

不登校ひきこもりである子ども本人が動けないのであれば、その家族が動いて、情報を集めてあげてください。その行動が、社会復帰するきっかけにつながることを願っています。


関連記事 :
不登校ひきこもり支援「待つ」は何もしないとは違う


ほな、また(・∀・)よしなに!


(・∀・)このブログの作者はこんな人だよ

過去記事 ⇒ ジェットコースター人生を歩む、元不登校 大宮わさび。はじめましてのご挨拶。


ランキング登録しています。
応援してくれると嬉しいです。
にほんブログ村 子育てブログ 不登校・ひきこもり育児へ