わたしが不登校ひきこもりになって気づいた、人生は平等じゃないけど…… っておはなしです。

こんばんは。大宮わさびです。このブログは、わたしの不登校に関する経験談や、自己肯定感、人間関係に関する話題を更新するブログです。

20190212tennbinnoomiyawasabi

人生は平等じゃない。不登校ひきこもりになって学んだこと


わたしは、高校一年生のときに不登校ひきこもり状態になりました。

そのとき、わたしは自分自身の人生を受け入れることができませんでした。(どうして自分が不登校にならなければいけないのか。人より努力して良い学校に進学したのに、どうして、わたしは不幸になるのだろうか)と。

人生は不平等で、不公平。中学時代に勉強せずに遊んでいた人たちが、結局幸せに生きている。わたしは寝る時間も我慢して勉強したのに、報われない。わたしの努力には意味がなかった。

不登校ひきこもり状態になったばかりのわたしは、「どうして」って気持ちを、強くもっていました。

ですが、不登校ひきこもり状態から、社会復帰を果たすころには、別の考えをもつようになりました。

人生は平等じゃない。それを嘆くのではなく、受け入れなければいけないんだ。と。

わたしにとっての「受け入れる」とは、恵まれた、才能のある人と同じところを目指すのではなく、昨日の自分、一年前の自分より、進歩していたら、それで十分なんだって考えることでした。


努力が足りないから、不登校ひきこもりになるのではない


わたしは、自分が不登校ひきこもり状態にあるとき、努力が足りないから、こうなったんだと考えていました。

ですが、その後、社会復帰を果たして、再び、自分の不登校ひきこもり時代を思い出すと、そうじゃないんだと気づきます。

社会復帰を果たした自分が、不登校ひきこもり状態にあるよりも、努力しているかというと、そうではありません。

努力していないから、不登校ひきこもりになったり、あるいは、その状態が長引くのではないと思うのです。

同時に、「自分だけが努力していた」「他の人より努力したのに」って考えも、間違っているのかなと感じます。

わたしは、不登校ひきこもり体験を通じて、みんな、同じだけ努力しているのかなあと考えるようになりました。方向が違うから、比べられないけれど。

たとえば、わたしが勉強について努力しているあいだに、ある人は、コミュニケーション能力を伸ばす努力をしていたんですよね。だから、高校時代には、友達がたくさんできて、楽しく過ごすことができた。わたしは、その努力をしていなかった。

また、他の人からすると、疑問に感じる言動も、本人にとっては、なんらかの努力の一部かもしれない。だから、人の行動を否定するのは、間違っていたなあと。

人生は不平等で、不公平。できること、得意なことが、人によって違う。自分ができないことを、できる人に対して、「人生は不平等だ」って思うけども、その人だって、できないことがあるはずだし、困っていることもあるはず。

不登校ひきこもり状態は、まわりからも見えるから、分かりやすい欠点だけれど、見えない、分かりにくい欠点は誰にでもある。

しかしながら、人生は平等じゃない。って、感じてしまう気持ちをなくすことはできないと思う。

だから、受け入れるしかない。太陽と月が入れ替わるように、人生が不平等であることも、疑うことなく、受け入れるしかないんだと感じている。

人生が不平等だ。と嘆いているあいだに、昨日の自分より、わずかばかしでも前進できるような、生きかたをしたい。

不得手なことを克服するのは、ハードルが高すぎる。

|ω・) がんばっても人並みにしかできないことをやっても、楽しくない

時間は限りある資源だから、楽しいことをして生きていたい。だから、得意なことをぐんぐん伸ばして、自画自賛できる、自分自身を褒められる人間になりたい。

人に対して「不公平だ」って感じる分野は、わたしにとって、圧倒的に苦手な部分だと思うから、近づかないようにしたい。ライオンの檻に、自分から侵入するようなもんだ。危険。

できないことがあっても良い。おそらく、自分にとって、できなくても困らないことばかりなんだから。


よく読まれている記事 : 
カオス期、停滞期、回復期。不登校による気持ちの変化は三段階ある


ほな、また(・∀・)よしなに!


(・∀・)このブログの作者はこんな人だよ

過去記事 ⇒ ジェットコースター人生を歩む、元不登校 大宮わさび。はじめましてのご挨拶。


ランキング登録しています。
応援してくれると嬉しいです。
にほんブログ村 子育てブログ 不登校・ひきこもり育児へ