知り合いの死をきっかけに、誰とも関わらないで生きたいと願っていた元不登校ひきこもりの考えが変化したって、おはなしです。

こんばんは。大宮わさびです。このブログは、わたしの不登校に関する経験談や、自己肯定感、人間関係に関する話題を更新するブログです。

20190331retorooomiyawasabi

元不登校ひきこもり、知り合いの死から人生の目標を考える


わたしは人間関係が不得意だ。できれば、誰とも関わらない生きかたがしたい。そう願っていた。

ところが、知り合いの死をきっかけにして、自分のなかで、変化が起こった。

知り合いのおじいちゃんは、死ぬときに、おばあちゃんに向かって言ってそうだ。「ありがとう」って。

わたしは、その話を聞いて、胸に、隕石が刺さったような気持ちになった。衝撃を受けた。

わたしも、死ぬときに、まわりにいる人に、「ありがとう」と言える人生でありたいと思った。

人間の死亡率は百パーセントである。必ず死ぬ日がくる。その目標に向かって生きているといっても過言ではない。

死亡率百パーセントである、わたしの人生における最終地点の理想は、死ぬときに「ありがとう」と告げること。

さて、この理想の死にかたは、誰とも関わらない生きかたをしていて、実現するのか?

否。できない。

つまり、わたしの人生目標と、途中経過が合致していないじゃないかと、気づいた。

わたしは人と上手に関わることができない言い訳に、「人間関係不得意」を乱用しているのではないだろうか。

自分に対して「人間関係不得意」って貼り紙をつけて、人との関わりを遮断しようとしている。

理由は、明確だ。傷つきたくないから。

人間関係は、曖昧なことが多い。アスペルガー症候群の傾向があるわたしにとって、白黒はっきりしない物事は、脅威だ。強い不安になる。

傷つきたくないから、わたしは、意図的に、人間関係を避ける生きかたをしてきた。それで良いとも思っていた。

でも、自分の人生における最終地点の理想は、死ぬときに「ありがとう」と告げることだと気づいてから、考えに変化が生じた。

わたしは、他の誰よりも、まわりの人と仲良くすることを望んでいる。本心では、誰とも関わらない生きかたなんて、望んでいなかった。人と仲良くできるはずがないと諦めて、心の奥深くに埋蔵していたのだ。

ついに発掘されてしまった。

人と仲良くしようと思ったら、トラブルも起こるだろう。嫌な気持ちになる日だってあるだろう。悩みごとが、一気に増えるに違いない。前途多難。恐怖でしかない。

人と仲良くするために何から始めたら良いのか分からないが、とりあえず、“わたし本体”の外側にいる一番身近な他人、家族と仲良く過ごそうと思った。

家族と仲が良い人は、それ以外の人とも仲が良いイメージがある。おそらく、良いところも、悪いところも、ありのまま受けいれられる人間なのではないだろうか。他の人に対してだけじゃなくて、自分自身の変化も、柔軟に受け入れて、ありのまま、穏やかに生きているようにみえる。

そういう人に、わたしもなりたい。自分の内側ではなく、外側に向かって、生きていきたい。

人間の死をきっかけに、「誰とも関わらない生きかたがしたい」と願うのは、廻り廻って、自分を生きづらくさせているのかもしれないとの考えに至ったのである。


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