不登校ひきこもりからの社会復帰には、離れることを前提とした出会いが必要だというおはなしです。

こんばんは。大宮わさびです。このブログは、わたしの不登校に関する経験談や、自己肯定感、人間関係に関する話題を更新するブログです。

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画像提供:enladさんによる写真ACからの写真

一期一会


“一期一会”とは、茶道の心得として生まれた言葉で、一度しかない出会いを大切にしようという意味です。

不登校ひきこもりからの社会復帰には、人との出会いが必要です。

社会復帰の第一歩は、学校へ通い始めることや、仕事を始めることではなく、家族ではない誰かと居心地の良い空間を共有できることです。


不登校ひきこもりの社会復帰に必要なのは別離を前提とした出会い


わたしにとって通信制高校で出会った人たちは、不登校ひきこもりからの社会復帰にかかすことのできないものでした。

在学中は、高い頻度で連絡をとり、悩み相談をして、多くの時間、気持ちを共有しました。

でも、あれから十年経ったいま、心の友と呼べるほど、仲良くしている人はいません。

|ω・) 一年に一度、連絡するかどうかの仲

二十代前半の頃は、通信制高校で知り合った友達と、その後仲良くしていないことを残念に感じていました。

ですが、時間が経つごとに、あれは別離を前提として出会いだったのだと納得するようになりました。

通信制高校時代を過ごしたわたしは、不登校ひきこもりから社会復帰したばかりで、本来の自分とは異なる人間だったように思います。

あるいは、あのような落ち着かない状態を、青春と呼ぶのかもしれません。背伸びをしたり、強がったり、本来の自分とは異なる“わたし”がいました。

あわせて、不登校ひきこもり時代に感じていた苛立ちや、不公平感を言葉にすることも日常であり、攻撃性が高かったように感じます。

といっても、わたしだけではなく、まわりにいる同年代の子どもたちも、同じような感覚をもっていて、それをつながりの源にしていたかも。

わたしは不登校ひきこもりであった自分の苛立ちや苦しみの一部を、あのころの人間関係に“置いてきた”のだと思うのです。

わたしの心は少しだけデトックスされて、軽くなりました。あのころの人間関係を続けるというのは、置いてきたはずの憎しみや苦しみを一緒に背負うような、マイナスな部分もあると感じます。

わたしは、過去の自分自身を置いてきたのです。相手にとっても、お互いさまで、掘り起こしてはいけない出会いなのかもしれません。

通信制高校で出会ったわたしたちの出会いは“一期一会”でした。離れることを前提とした、二度と繰り返すことのない出会いでした。


社会復帰までの道のりを独占する関係は危ない


不登校ひきこもりが社会復帰するまでに出会う人のなかには、家族や学校の先生、お医者さん、保健所や支援団体のスタッフなどがいます。

「あの人じゃないと話したくない」と、非常に強い信頼関係でつながることもありえます。そのような強い関係は、危険も伴います。

不登校ひきこもりから社会復帰を目指すときに、ひとりひとりの支援者にできることは限られています。

家族も、学校の先生も、お医者さんも、保健所や支援団体のスタッフも、それぞれがひとりで担うことのできる手助けには、時間にも方法にも限りがあります。

最後には、不登校ひきこもりであった自分、たったひとりで歩かなければいけない日がくるのです。

たったひとりの自分で、新たな“一期一会”を求めなければいけない。

あの人がいないと不安だ。という気持ちでは、新たな出会いを受け入れることが難しいです。

社会復帰の第一歩は、学校へ通い始めることや、仕事を始めることではなく、家族ではない誰かと居心地の良い空間を共有できることです。

不登校ひきこもりからの社会復帰に必要なものは、他者との接点を上手に受け入れることができる状態を作るための、別離を前提とした出会いです。


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ほな、また(・∀・)よしなに!


(・∀・)このブログの作者はこんな人だよ

過去記事 ⇒ ジェットコースター人生を歩む、元不登校 大宮わさび。はじめましてのご挨拶。


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